2026年4月29日から5月6日まで、佐賀県嬉野市の塩田津あたりに滞在していた。町の人や、古民家で暮らすメンバーに色々教わりながら、ガチョウの飼育小屋を作った。竹林に入って木を切って、竹を炭化させて、土を掘って、それから小屋を建てた。

1週間の滞在で、大きな気づきがいくつかあった。

畑の向こうに立つ瓦屋根の古民家曇り空の下の古民家と山並み木々の間から見える山と集落

まず、ガチョウのためのスペースを作ることですら、めちゃくちゃ大変だということ。これは実際に体験してみないとわからない感覚だった。こんな小さな小屋ひとつでこれなら、文明を作った人類はすごい。

そして作業しながら、自分たちがガチョウ小屋にたくさんの意図を置いていっていることに気づいた。ここを入口にしよう、とか。ここには柵が必要だ、とか。そういう一つひとつを決めていくことが、構造を作ることなんだと思った。

そしてそれは、渋谷でも社会でも同じだ。いま目の前にある構造には、歴史があって、誰かの意図がある。構造には意図がある。構造は、イデオロギーの一つでもある。ガチョウ小屋を建てながら、そんなことを考えていた。

竹林に入って作業をする人たち屋外で道具を使い、作業をする人たち地面に掘られた溝と、その奥の竹林

滞在中は、普段の自分の感覚器官ではうまく検知できなくなっていたものを、検知できるようになっていく感覚があった。この草は食えるか。石、古い木、風、土の湿り方。そういうものが、やけに気になった。東京で生活していると、たぶんほとんど気にしないものたちだ。でも塩田津にいるあいだは、そういうものに少しずつ体が反応していて、自分の感覚が少しだけ別のモードに切り替わっていた気がする。

そのモードの中で、道具のこともかなり身体で考えた。Figmaも道具、MacBookも道具。でも、チェンソーも、ナタも、ノコギリも、ハンマーも、そういえば道具だった。

今まで別々の世界のものとして認識していた道具を、一度「道具」としてひとまとめに並べ直して、いろんな道具を使いたいと思った。道具には歴史がある。道具には思考が詰まっている。道具の立場から見ると、この世界はもっとオモロい。やっぱり道具が好きだ。Figmaとハンマーは同じだ。

地面に置いた竹を道具で削る手元畑でしゃがみ、草に手を伸ばす人

Ryomaくんが教えてくれた言葉に「Shadowing」というのがある。別の暮らしを、誰かと一緒に生きてみる感覚。朝の起き方、食事の準備、道具の使い方、考え方、その人の間合い。そういうものを、そばで一緒に過ごしながら受け取っていく。

東京では、人と関わる時間は短くて、だいたいテーマがある。打ち合わせ、飲み会、仕事、イベント、相談。何かしら目的がある。でも今回の滞在では、一緒に何かを直して、一緒に移動して、一緒にご飯を作った。そういう時間の中で、相手の思想や過ごし方を、言葉ではなくリズムとして受け取る瞬間があった。街の人や、一緒に過ごす仲間の暮らしをShadowingすることで、自分とは違う認知のあり方を、身体で知った気がする。

同時に今回の滞在は、自分のリズムや価値観を解体できた時間でもあった。正直、20代は自己顕示欲や目立ちたさがかなり先行していたと思う。もちろん、都市がそうさせていた部分もある。早く返す、おもしろく見せる、何者かに見せる。あれは都市や資本主義に最適化された出力で、そういうものをずっと身体に入れていた気がする。

30代になって反省はしているが、20代を否定したいわけではない。あの時期にしかできないこともあったし、あの勢いの中でしかできないこともあった。けど、全然持続的じゃなかった。自分が消耗していた。

最近色々見直して、「あれは一つの出力にすぎない」と分かっているだけで、ずいぶん楽になった。別のリズムに、別のパターンに自分を委ねてみると、逆に自分が色々見えてくる。そういう意味で、今回の旅で「Shadowing」を知れてよかった。

古民家の前のベンチで過ごす人たち夕日を浴びながら屋外で集まる人たち木の梁がある室内でDJ機材を操作する人

塩田津では、パプリカの苗が売られているのを見かけたり、竹を屋根にするときは節を取る必要があることを知ったり、切った木を見て「これが杉なのか」と思ったりした。

そんな瞬間に、子供の頃、宇宙に憧れていたことを思い出した。月の満ち欠け、北斗七星、宇宙の加速膨張。そういうものにワクワクしていたのに、いつからか星を見ていない。月を見ていない。竹を知らないし、木を知らないし、土も知らない。そのことが、妙に気になった。

世界に対する失われた感覚が、いつの間にか戻ってきていた。世界がもう一度、未知になった。佐賀のことも、東京のことも、自分は全然知らない。普段暮らす街のことも、全然知らない。すぐそばに、全然、並行世界があった。世界楽しい。

店頭に並ぶパプリカの苗星の図と説明が載った展示ケースの中に並ぶ昆虫の標本

あと、今回Journalingを後回しにしたことは割と反省。日記は、あとから書くとリズムが消える。町や風にはリズムがあって、体にも思考にも、その時のリズムがある。月曜、火曜、水曜で、頭の中にあることは変わる。同じ自分でも、日によって、場所によって、タスク量によっても変わる。

昨日の自分が気にしていたことを、今日の自分はもう忘れているし、今日の自分が大事だと思っていることは、来週には全然違う。だから日記は、過去の自分をShadowingするためのものなんだと思う。それを続けたい。

手に持った「金融」という本本棚に並ぶ本

都市も、自然も、道具も、AIも、身体も、共同体も、もう一度見直したい。いまはそういう感覚でいる。FigmaやClaude CodeでSoftwareを作ることも、チェンソーで木を切ることも、LLMに聞きながら小屋の作り方を知ることも、地元の人と話しながら土地のことを知ることも、竹をナタでかち割ることも、全部つながっている。

そういったことを一つひとつ通過していくことの楽しさ。過程の、時の流れの美しさ。世界はまだ知らないものだらけだったということを思い出せた。

山並みと夕空、畑に並べられたコンテナ青空と木々に囲まれた畑

誘ってくれたRyomaくん、ありがとう。Code for Japanで一緒にプロジェクトをしたり、SenspaceやDesign Mattersでもよく話す、考えていることにヒントをくれる友達だ。帰ってきてから、行きたい場所が増えた。十勝、小諸は特に行きたい。